10年の修行を経て痛みの本当の原因を探し出し、これまで多くの患者さまと向き合ってきました。
痛みを改善し自分に自信をもってほしい、トレーニングをして身体が変わった自分に自信をもってほしい、自分のコンプレックスを改善し自信をもってほしい。
そんな想いから2013年に地元佐賀で「なべしま整骨院」、2019年には佐賀市本庄に2店舗目となる「ほんじょう整骨院」を開院しました。自分に自信をもつことで、自分のことが好きになってくれる人が増えたら嬉しいですね。これからも私にできることで、佐賀県を元気にしていきたいと強く思っています。
幼少の頃からスポーツが大好きな少年でした。
保育園から中学校までの10年間は水泳に明け暮れ、県大会では優勝・西日本大会でも入賞できるレベルまで頑張っていました。
高校ではようやく陸に上がり、陸上競技(ハードル)の道へ。『面白い子がいる』という理由だけで中学校の先生から推薦していただき、そこからの出会いに恵まれ陸上競技を始めるようになりました。
今振り返ると私の走りを一度も見たことがないにもかかわらず、推薦をしていただいた先生には本当に感謝しています。
高校卒業を目前に進路を決めなければいけない状況で、何になりたいかなど漠然としていたときに『スポーツトレーナ』という職業を知りました。
スポーツばかりの人生だった私にとっては『スポーツを仕事にできるなんて・・・天職だ!!』と、すぐに資料を取り寄せ、専門学校に入学しました。
専門学校ではオーストラリアでプチホームステイをしながら、トレーニングやテーピング、栄養学、解剖生理学、マネジメントを学ぶ日々でした。
トレーナーとしての知識を身につけていくことで、ある時『トレーナーとは?』という問いを抱くように。
しかし学べば学ぶほど自分のトレーナー像が分からなくなり、不安と葛藤の中を過ごすことになります。
そんな中、学校で整骨院の助手のアルバイトがあることを知り、佐賀から福岡まで通いました。
初めての一人暮らしも始め、バイクで片道30分以上かかる整骨院にほぼ毎日勤務することに。
その整骨院はスポーツをしている学生に力を入れており、多くのスポーツ障害を現場で診ることができました。
そこでスポーツを施術という面から支えられることを知り、自分の理想像が明確なものになります。
『あらゆる人にスポーツの楽しさと重要性を伝え、それを施術面から支えていける存在』になることが、私の夢になりました。
トレーナーの専門学校を卒業後は『柔道整復師』の国家資格を取得するため親に頭を下げ、もう一度学校に通う決断をしました。
在学中は以前の専門学校では考えられないくらいの量と深い知識を学び、勉強が疎かになってしまっていた私には過酷な学生生活でした・・・
試験勉強に追われながらも、整骨院の仕事があったため、寝る間を惜しんで頑張りました。
過酷な環境だったからか、その時にできた仲間とは今でも深い付き合いがあり、辛いだけではなかったですね。
卒業後はお世話になっていた整骨院に就職することができ、スポーツと深く関わりながらの修業時代が始まりました。
プロの選手から地域のスポーツ愛好家、学校の部活動まで多くの方に関わらせていただき、柔道整復師としての腕を磨いていきました。
私の一番の強みはこれまでの経験を踏まえ、施術とトレーニングの両方の視点から患者さまの状態を把握できるということです。
これまで施術をおこなってきて実感していることは、必ず痛みには原因があり、それを改善していけるということです。
患者さまと一緒に施術プランを立て、一方的ではなく二人三脚で施術していくことで治るスピードも速くなります。
ただ痛いところだけを診るのではなく、身体のバランスや生活習慣を見直すことで根本から改善していきましょう。